70~80年代サブカルの部屋

1970~1980年代のサブカルチャーを、自身の記録と記憶から語ります

昭和40年代のレコード

3回続けてラジオの事を書いたので、ここからしばらくは1960〜70年代に聴いていた流行歌(今、こんな言い方はしませんね)などについて、家にあるレコードを中心に書いて行こうかなと思います。
まず今回は昭和40年代、自分が幼稚園児、もしくは小学生だった頃から。といっても、その頃はテレビのバラエティー番組で観るか、父親が時々買ってくるレコードをちっちゃなプレイヤーで聴くかくらいでした。とうことでまず、当時、父親が買ってきたレコードを何枚か紹介します。

まずは1969年の、ピンキーとキラーズのデビュー曲にして大ヒット曲の「恋の季節
「夜明けのコーヒー、二人で飲もうと、あの人が言った、恋の季節よ」。幼稚園児には全く意味がわかりませんでしたねー。分かってたらやばいですが。

このレコード、7インチでしたが33回転でA面、B面それぞれ2曲ずつ入っています。A面2曲目の「ゆびきりげんまん」はドラマの主題歌でしたね

続いて皆川おさむの「黒猫のタンゴ」。1969年に発売されています。そもそもタンゴが何か分かってなかったけど、同年代の子どもが歌っているという事で(皆川おさむは私の一学年上)、親しみを感じてましたね〜。

皆川おさむさん、今は62歳。なにやってるんでしょうかね。B面の「ニッキ・ニャッキ」もかわいい歌です。歌っていた置鮎玲子さん、今は海外に在住されているだそうです

そしてドリフターズ。まだ志村けんが加わる前です。「ドリフのズンドコ節」は1969年発売、「誰かさんと誰かさん」は、1970年発売。うちの父親はドリフターズが好きで、「8時だョ!全員集合」は好きなだけ見せてもらえました。でもなぜかコント55号の事は嫌いでした。特に欽ちゃんが。なぜだったんだろう。

ちょうど全員集合の放送が開始されたころです。このころ長さんは38歳、荒井注は41歳、かとちゃんは26歳でした。

さすがにこれは父親の趣味です。1972年に発売されたぴんからトリオの「女のみち」。でもこの頃の子どもは、こんなド演歌も歌謡曲の一部、同じジャンルのものとして普通に受け入れてましたよね。

全員集合で、かとちゃん扮する警察官がこの歌を歌いながら自転車に乗ってやってきて、最後に「どうも、すんつれいしました」ってやるコントが大好きでした

そしてその後、こんなレコードも父親が買ってきました。ピンポンパン体操。作詞:阿久悠、作曲:小林亜星

1971年に発売されていたようですが、こちららは残念ながら手元に残っていません。なぜかと言うと、私がこのレコードを割っちゃったからです。自転車で友達の家に持って行った帰り、家のすぐ前でコケて、手提げ袋に入れていたレコードはバリバリに。でも割ってしまった事は家族には黙ってました。どうやってごまかしたのかは覚えてません。もちろん今でも言ってません。ごめんなさい。

さらにこんなのもあります。これは自分のお小遣いで買った記憶があります。ドリフの加藤茶のコント、「ちょっとだけよ」でかかっていた「タブー」、1973年発売です。なんとペレスプラード楽団が演奏していたんですよね。B面は「ベサメムーチョ」。めくるめくムード・ラテンの世界です。

そしてこれも手元に残っていません。これは川の底に眠っているのか、でなければ海に流れ着いていると思います。小学校4年生の時だったと思います。このレコードを、麻ひもで自転車の荷台に括り付けて橋の上を走っていたら、ひもがほどけてひらひらと舞いながら落ちていき、川面にパシャ。そのままサヨーナラ~でした。

デベロン音頭とかパジャママンも懐かしいですね
そしてタブーのジャケット、すごいです。ペレス・プラードさんも日本でこの曲が急に売れてビックリしたでしょうね

そしてこのころから私は、歌謡曲、特に女性アイドルに気持ちがググっと傾いていきます。ここから1985年頃までの私の女性アイドル遍歴は、次回以降に。

最後にちょっとオマケ。

小学校の高学年の頃、最も熱心に聴いたレコードはたぶんこれらだと思います。

中日ファンならだれもが知っている「燃えよドラゴンズ!」。もちろん最初の「一番高木が塁に出て~」から始まる昭和49年のバージョンです。歌っているのは「1970年代のラジオ番組②」でも紹介した、板東英二

そしてこちらは昭和50年、優勝の翌年、V2を目指した時の応援歌「ガッツだ!!ドラゴンズ」です。「燃えよ!ドラゴンズ」はその後何度もリメイクされましたが、こちらはこの時限り。そしてB面の「ドラキチ音頭」を歌っているのは新間正次。彼も「1970年代のラジオ番組③」で紹介済みです。