今回も1970年代なか頃のラジオ番組についてです。
前回は、お昼に放送していたCBCラジオ制作のローカル番組が中心だったので、今回は夜の番組を中心に。
ラジオを聴き始めたのは小学校5~6年生だったので、夜といっても深夜放送を聴くことはなく、せいぜい10時くらいまで。そこでよく聴いたのが9時台の、やっぱりCBCです。
この時間帯はすべて、月~金の帯番組でした
まず9時10分からの「柏ヤン・ノンノン 夜のジョッキー」。この番組、ものすごく印象に残っているので、さぞかし長い期間やっていたのだと思っていたら、まさにこの番組表の期間(半年間)しか放送していなかったようです。
柏ヤンは、のちに「お笑いマンガ道場」の司会などでテレビでも有名になった、中国放送出身のアナウンサー柏村武昭。そしてノンノンは、こちらも元日本テレビのアナウンサーだった江川範子。ふたりともアナウンサー出身ということもあって、とってもスマートな番組だった記憶があります。ちなみに柏ヤンは今でも中国放送などで番組を持っているようですね。今度、radikoで聴いてみようと思います。現在80歳だそうです。
そのほか、東京キー局を中心とした有名DJが勢ぞろいです
続いて、9時40分からの「欽ちゃんのドンといってみよう!」。私がラジオを面白がって聴き始めたのは、たぶんこの番組からだと思います。兄貴の影響ですね。「欽ドン」については詳しい解説はあまり要らないと思いますが、萩本欣一はこの番組から始まって、テレビの「欽ドン!」(こちらは「欽ちゃんのドンとやってみよう!」)、「欽どこ!」など、欽ちゃん帝国(世にいう欽ちゃんファミリー)築き上げたんですよね。
はがきの投稿を中心をとしたスタイルは、のちに多くの番組に引き継がれました。番組の内容もさることながら、私の印象に残っているのは提供の集英社が流していたCMですね。「少年ジャンプ」とか「マーガレット」とか。あと「ガッツ」という名前の雑誌?のコマーシャルもありました。一度も読んだことはありませんでしたが、もうちょっとお兄さん向けのものだったのではないかと思います。
初期のころは、先回写真を載せたラジカセで録音して何度も同じものを聴いてました。ある放送回で欽ちゃんが「埼玉県川口市の〜、ノナカ・マ〜サヒロ」とはがきが採用された視聴者の名前を呼んだ場面は、なぜかいまだにその声の感じまで覚えています。ノナカ・マサヒロさん、お元気でいらっしゃいますでしょうか(笑)
そして最後は、つボイノリオの「のりのりだぁー歌謡曲」。「夜のジョッキー」はTBSラジオ、「欽ドン」はニッポン放送制作の全国ネットの番組でしたが、こちらはCBCラジオのローカル番組です。
この番組については、とにかくいろんなことを覚えています。まず私が聞き始めたことはコーリン鉛筆が提供をしていました。「ジブヤングタイム!」とつボイノリオが叫び、そのあとラジオ体操第一の歌がかかって番組が始まっていました。ちなみにジブ(JIB)はコーリンのシャープペンシルの商標名です。
そのあと番組を提供したのは、アンネ。「敏感な一週間をできるだけ快適に。アンネ株式会社の提供でお送りします」とつボイノリオがちょっと神妙な声で語るところから番組が始まり、小学生の私には相当刺激的でした。(ちなみに「アンネ」が隠語として何を指すのかは、もちろん、あのねのねの「赤とんぼの唄」で知りました)
また、直前の「欽ドン」をライバル視しており、毎週金曜日にあった「人気DJベストファイブ」のコーナーでは常に自分がダントツ1位、一方で欽ちゃんの悪口をしょっちゅう言ってました。こういうちょっと田舎者の悪ノリ的なところが本当に面白かったですね~。
はがきを読まれた人への景品も「軽石」とか「ブルマ」とか「パンツのゴム10メートル」とかなんだか良くわからないものが多かったです。当時はまだ小学生で、投稿するほどの力量(笑)がなかったのですが、いつも欲しいな~と思ってました。
他もすごいメンバーですな~
ということで今回は、当時の私にとってのゴールデンタイムだったCBCラジオの午後9時台の番組を紹介しましたが、実はこのころの私は、地元で聴けるCBCラジオや東海ラジオのほか、北は北海道から南は沖縄まで、日本中の民放局の番組を聴いていました。そんなこともまた別の機会でお話ししたいと思います。