70~80年代サブカルの部屋

1970~1980年代のサブカルチャーを、自身の記録と記憶から語ります

昭和40年代後半から50年代後半にかけての高校野球(その1)

今日は、高校野球についてです。

高校野球に対しては「今年の夏の大会は、どこが優勝したんでしたっけ?京都国際?あーそういえばそうでしたね」というくらいの感じです、今は。

そんな私にとって高校野球が最も旬だったのは、1973年から1982年まで、小学校4年生から大学1年生までの10年間でした。今回はその前半の5年間の「夏の甲子園」について、いつものように手元に保管されている資料をベースにお話しします。

これは1975年に私が最初に買った朝日グラフの特別増大号
このころ夏の大会が終わると、必ず朝日グラフを買っていました
表紙は原辰徳です(この時は2年)

1973年、この年から高校野球をしっかり観るようになりました。作新学院江川卓が3年生でしたが、作新は2回戦で翌年優勝する銚子商業に敗れてます。そして優勝は広島商業。決勝戦についてのこんな観戦記が、私の小学校4年の夏休みの日記から発掘されました。

当時私は静岡県に隣接する愛知県の某市に住んでいたので、静岡高校に肩入れをしていたのだと思います(赤い文字は担任のK先生のコメント)

そして翌1974年は、銚子商業が土屋正勝を擁して優勝。この年は、夏休みの自由研究として高校野球に関する新聞記事をスクラップしており、こんなものも残っていました。

左が愛知県大会の決勝戦の記事
優勝した名古屋電気工業(今の愛工大名電)はこの年が甲子園初出場
右は、銚子商業が甲子園で優勝した翌日の朝刊
エースの土屋はプロでは花を咲かせられませんでしたが、このチームの4番は巨人で大活躍をした篠塚でした

1975年は習志野が千葉県に2年連続の優勝をもたらし、当時、ものすごい人気だった原辰徳東海大相模は準々決勝で敗退。1976年は桜美林が60年ぶりに東京に優勝をもたらし、やっぱり東海大相模は2回戦で敗退。甲子園の神様は、原には微笑まなかったんですね~。でもって私ったら、1975年にこんな日記を。

先生のコメントにもあるように、なんでこんなにアンチ原辰徳だったんでしょう 謎ですね
それにしても小学6年生の自分、自由すぎます

そして1977年は、バンビ坂本の東邦が準優勝。決勝戦、リアルタイムで見ていたことを今でもよく覚えていますが、地元の学校だったということもあって悔しかったですね。しかし当時、すでに東邦の監督だった坂口慶三さんが今年の3月まで大垣日大で監督をしていたというのは、本当に驚きですな~

1977年の朝日グラフより マウンドでの笑顔が話題になって大人気に
私の住んでいた町に東邦の練習グランドがあったのですが、大会のあとはすごくたくさんの人が坂本を見に来ていたようです

ちなみにこの年は、後に中日のエースとなった小松辰雄を擁した星稜と、同じく近鉄で活躍した山口哲治智弁学園が一回戦で当たっています。

小松と山口の投げ合いは山口に軍配が これもリアルタイムで見たのを何となく覚えてます

というわけで、今回は10年間のうちの前半の5年を紹介しました。後半の5年間にも新しい甲子園のヒーローたちが誕生しますが、それはまた次回に。